地球からの贈り物、ダイヤモンド。ダイヤモンド採掘の大まかな歴史に加えて、世界でも有名なダイヤモンドをご紹介します。ってそんなに大したものでもありませんが、ご参考までにどうぞ。
地球上でもっとも固く、永遠の輝きを放つダイヤモンド。
その採掘の歴史は、時代と共に変遷してきました。
余り知られることのない、ダイヤモンドの採掘の歴史。
そんなどうでもいい豆知識、そして世界的に有名なダイヤモンドをご紹介いたします。
当店(質屋マルカ)のダイヤモンドの相場価格はこちらでご案内しています。
ダイアモンドは地球の地殻生成期あるいは、現在の大陸生成期に地中深くで作られたとされています。
科学的分析によると一番古いものは約45億年前、一番新しいものは約1億年前にできたものであることが判りました。
それが地上に現れ、人間の眼にとまったのは紀元前7、8世紀頃で、インドで発見されたのでした。
インドの鉱山は川床の砂礫(二次鉱床と呼ばれます)で、その中から拾い集められていました。
ダイアモンドは世の中の物質の中で一番輝かしく光るだけでなく、一番耐久性があるため、魅惑的な石だと珍重されていました。
しかし、原石のままでは決して美しい宝石とは呼べません。
むしろ当時は真珠の方が宝石として重要視されていたようです。
1475年、ベルギーのルドウィグ・ヴァン・ベルケムが現代に通ずる研磨法を発明してから今日まで、ダイアモンドは宝石の王様として君臨しているのです。
現在存在するいくつかの宝石は、たくさんの近代国家の歴史より長い歴史を持っています。
それらは王への贈り物であったり、身代金の代償であったり、欲望のための破壊的な戦争、暴力的な犯罪を引き起こす原因となったことはあまりにも有名な事実です。
ダイアモンドは「所有者の成功と権力の象徴」「成功のシンボル」と見なされていたのです。
1728年になって初めて、ブラジルでダイアモンドが発見され、インドに次ぐ新たな産地として登場しました。
最初はブラジル産のダイアモンドは売りにくかったといいます。
その頃インドでのダイアモンド産出が減っていたので、ヨーロッパとインドの商人はブラジルで大量の石が産出すると値下がりが起きるのをいやがって、色々な作り話などで商売の邪魔をしたようです。
そのためブラジルのディーラーはブラジル産のダイアモンドをインドの港ゴアを経由してインドの石として売る方法で巧みにこの困難を切り抜けたのでした。
1867年南アフリカのとある川の堤で子供が小さな美しい小石を発見しました。
当時ケープ植民地の指導的な鉱物学者のゲイボン・アーサストーン博士が21.5Caratsのダイアモンドであると断定しました。
これがインド、ブラジルに次いで、アフリカにおけるダイアモンドの最初の発見だったのです。
このダイアモンドは「ユーレカ」(「我発見せり」という意味のギリシャ語)と名付けられ欧州で10.73Caratsにカットされました。
この石は現在南アフリカのキンバリーの金鉱博物館に展示されています。
ダイアモンド発見のニュースは植民地全体に伝わり、農民たちは小石に注目を始めました。
数年後、オレンジ河近くの土着の羊番の少年が、良質の83.5Caratsのダイアモンドを発見しました。
この石は後に「スター・オブ・サウス・アフリカ<南アフリカの星>」として有名になったダイアモンドです。
1870年8月ヤガースフォンテンという農場で、すばらしい50Caratsのダイアモンドが発見されました。
これが、南アフリカでの一次ダイアモンド鉱床(パイプ)の発見につながったのです。
その後この鉱床は1971年5月に操業を終えるまで、100年間に渡りダイアモンドを産出し続けました。
1870年9月以降、キンバレー周辺で重要な5つのダイアモンド鉱床が発見され、土地の所有者の名前をとって<デ・ビアス鉱山>と呼ばれるようになり、南アフリカがダイアモンドの主要な産出地になっていったのです。
1970年頃には、オーストラリアのアーガイル鉱山でもダイヤモンドの採掘が始まりました。
アーガイル鉱山で採掘されるダイヤモンドの大半は工業用途(宝石用途には使用できない品質の物)であり、90%以上がブラウンからイエローに分類されます。
こういったダイヤモンド、特にブラウンダイヤモンドは市場価値としては低いものでしたが、アーガイル鉱山の経営者はインドの安い労働力を用いて、これのダイヤモンドを「コニャックダイヤモンド」「シャンパンダイヤモンド」として売り出すことに成功します。
また、アーガイル鉱山はピンクダイヤモンドに代表されるファンシーカラーダイヤモンドの産地としても有名です。
その他色々な国でダイアモンドが産出していますが、残念ながら日本では1個のダイアモンドも産出していませんし、将来も見つかる可能性はゼロです。
数ある有名なダイアモンドの中で一番古いとされているものです。
1526年中国からインドへ侵入してきたムガール帝国が、争いを繰り返していたすべての王侯たちを征服して国を統一し、その王の内の一人が所有していた「コイヌール」(光の山)を押収しました。200年経って、ペルシャのナディール王がインドを征服した時、「コイヌール」はペルシャに移りました。
一連の暗殺、陰謀の中で、所有者は次々と変わりましたが、パンジャブの虎といわれたラジット・シンがこれを取り戻しました。
そして1849年英国がインドを征服した時、ラジット・シンはビクトリア女王に「コイヌール」を献上しました。ビクトリア女王はコイヌール(186Carats)を再カットし、現在の形になって(108.93Carats)イギリス女王の冠にセットされています。
フランスの有名な旅行家であり貿易商のタベルニエが1642年にインドから持ち帰った大きなブルーのダイヤモンドの一部がこの「ホープ」ダイヤモンドです。
この石は、1668年ルイ14世に売られ、持ち主を次々と不幸に陥れた宝石として有名です。このダイヤモンドを受け継いだルイ16世と王妃マリーアントワネットはフランス革命で断頭台の餌食となりました。
その後一時行方不明になったこの石が1830年ホープ家のコレクションの一つになったのですが、ホープ家では不慮の死や不幸が続きその後の持ち主も不運に見舞われたと言われています。
現在はワシントンのスミソニアン博物館が所蔵しています。
売却(買取)するとその品物は二度と戻ってきません。
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だから、マルカは『買取価格』で質預かりいたします。
質屋は、お客様の品物を一時的にお預かりするだけ。
元金と質料をお支払いいただければ、品物を取り戻すことができるのです。
やっぱりいらない!と思えば、期限を過ぎると売却(買取)したことと同じになります。
品物を取り戻すか、売却(買取)するかどうかは3ヶ月の質預かり期間に考えればいいのです。
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期限は3ヵ月、その間に元金と質料を支払えば品物を取り戻すことができます。
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当店では、40年以上にわたってダイヤモンドを取り扱ってまいりました。
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